肺がん4期の告知を受けて、抗がん剤、樹状細胞ワクチン、放射線、ガンマナイフなどの治療で2年経過。

2012年12月

2012年12月

H24.12.1
マイントピアの冬の桜まつりに行く。物産展でお団子を買って清滝まで行く。清滝の紅葉はほとんど終わりで、瑞応寺へ寄ると、真っ赤な紅葉と銀杏が、とてもきれいで、エントツ山の紅葉も、今が一番見ごろだった。

H24.12.7
寒くなる、体調は背中と胸の痛みだが痛み止めでなんとか抑えられる。毎朝、血圧、脈拍、体温をはかり、かんぷまさつをする。抗がん剤の副作用の頭皮湿疹などは、ずっとあるが、薬を飲んでいる間はしょうがない。庭に咲いていた菊の花を持って実家のお墓に行くと、サルが来て下の畑の木に登ってみかんを食べている。多いときは30匹位来ていると言う、畑はみかんの皮だらけ。

H24.12.10
タルセバ(196)、外来、造影剤を入れてCT、血液検査、肺の影は一段と小さくなっていて、水もなし、しこりの後も残っていない、骨も白くかたまっている、今は、落ち着いた状態である。背中と胸の痛みと頭皮湿疹はあるが薬と痛み止めを飲んでいると普通に動ける。主治医の先生に、最初の入院当時どう思ったか聞いてみると、人によって違うので余命は言わないことにしているが、肺がん4期となると、6ヶ月~1年以内が普通で、イレッサやタルセバが効いた人でも2年くらいだという。もうすぐ2年になるけど何かが効いていると思う。その後、松山へ行って母と一緒に昼ご飯を食べる。

H24.12.14
タルセバ(198)、朝は掃除、洗濯、かたずけの後かんぷまさつをする。背中から横腹に痛みがあり痛み止めの回数が増える。長男が使っている空きスペースに私の闘病記のホームページを作ることにする。

H24.12.17
長男の用事をすませて松山へ行く。母が好きそうなプリンやケーキ、みかんや柿を持っていく、とても元気そうで安心する。帰り新しくなった鷹ノ子温泉による。 <入浴するならば諸人万病快癒疑いなし>と書いてある弁天の湯にはいる。ツルツルの炭酸泉で気持ち良かった。

H24.12.21
中学生の孫が来て一緒に実家の庭のかたずけに行く。枯れた花や木を集めて燃やす.買ってきてくれたお弁当を一緒に食べる。庭全体がすっきりする。今日は冬至なのでゆず湯をして入る。

H24.12.22
娘の家で子供と孫全員そろってクリスマス会をする。みんなでお部屋をかざりごちそうを作ってくれる。鶏もも、にぎり、サラダ、サンドイッチなどたくさんあって、お腹がいっぱいになり、持って行った鶏の丸焼きが丸々残ってしまう。最後にクリスマスケーキを切ってたべる。

H24.12.24
タルセバ(203)、朝、薬を飲む、血圧、体温をはかる、かんぷまさつをする、日記をつける。朝晩ベットで深呼吸をする、背中が痛くなった時も上向きに寝て大きく鼻で4秒息を吸って口を少し開けて8秒で吐く深呼吸が痛みも軽減してとてもいいので、これを3~4回する。背中と横腹の痛みは1日3回痛み止めを飲む。

H24.12.25
終業式を終えて帰ってきた孫たちを連れて松山のお婆ちゃんの所へ行って一緒にご飯をを食べる。その後、そらともりでいろんな風呂に入る、娘たちはサウナに入ってうちわであおいでもらったり岩盤浴に入ったりするが、私は以前気分が悪くなったのでサウナや岩盤浴には入らないことにしている。その後みんなで食事をしてかえる。

H24.12.31
娘の家族は夫の実家大阪へ行き、留守の間おいていった犬の餌やりに行く。正月用の買い物を済ませる。オードブルをたのんでいるので、もらった黒豆をたいて数の子の塩抜きをする。年越しそばを早めに食べて、テレビを見る。体調はまずまずでなんでも食べれるし、薬を飲んでいると痛みもなく1年過ごせたことに感謝する。

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